2010年4月28日

【最後の追記あり】土俵に立つということ

あー。
http://bungeishi.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-41f5.html

こういうタイプの人に
私がネットでよく出会ってたのは、
『漫画嫌い *枡野浩一の漫画評(朝日新聞1998〜2000)』
写真=八二一(二見書房)
という本のもとになるコラム連載を
朝日新聞でやっていた頃のことでした。
漫画嫌い―枡野浩一の漫画評(朝日新聞1998〜2000)

 俺だって朝日で連載できてたら枡野浩一より書けるのに!
と思ってた人、
たくさんいるんだろうな……。
(そういう文面のメールが届いたりもしました)

しかし、
「その時そこで発言する機会を与えられてること」
っていうのが 、
じつは重要なんですよね。

その土俵に立つために、
いかに多くのことを積み重ねてきたか……。
それは「客席」からはなかなか見えないものです。

そして土俵に立った瞬間は、
どんな言いわけもできない。
その土俵上で行ったことだけで、
「客席」の人々から評価されていくものです。

この人の場合、
せっかく同じ雑誌から原稿依頼されたんだから、
「枡野浩一さんとはちがう切り口で 、
もっと面白い歌詞分析を書けます!」
と編集部に交渉してみれば良かったのに……。

私ならそうしますけどね。
それで却下されたら書き方を工夫して、
歌詞についても書いてしまう。

それをしなかったという時点で、
小沢健二の歌詞について語りたいという情熱が、
枡野浩一にくらべると足りなかったのです。

それは根本的な、
書き手としては致命的な、
とりかえしのつかない
「失敗」だったのではないでしょうか?

小沢健二に関しては、
まあ彼の歌詞について書きたい人なんて
いくらでもいるだろうから、
どんな反響も楽しもうと覚悟して書きました。

http://masuno.de/blog/2010/04/15/post-169.php
こんなふうに「恐縮」はしてますけど、
自分にしか書けないことがあると思ったから、
この原稿依頼を引き受けました。

(自分以外のだれかが書いたほうが
世界のためになる、と心から思ったとき、
私はその旨を編集部に伝えて、
別の書き手を紹介します)

あの誌面で載ったものがすべてです。
本当はもっとうまく書けたのに……なんて思いません。
その「土俵」で、
「ない力」を出し切るのがプロだからです。

まあ、
《イマイチだった》と感じてしまった人の、
実感を覆すことは無理ですから、
その感想は有り難く受けとめておりますが。

くだんのブログ記事自体は、
興味深く拝読しました。
私の気づいた範囲だけでも、
(とりわけコメント欄に)
事実誤認がたくさんあるけれども。

ただ、
思い込みの激しさが面白さに繋がってるこの意見、
当たってる部分もある気がするものの、
小沢健二とは少ししか関係ないですよね。
面白いことを言うための、
材料として小沢健二をつかってるだけ、
に見えます。

結果的に小沢健二それ自体よりも、
「小沢健二を面白く語れる俺」
のほうを優先させている印象というか。

その手の評論文に対する素朴な感想を私は、
「ミュージック・マガジン」の自分のコラムで
予め書いていますよ。《考え過ぎ》と……。

(面白ければ《考え過ぎ》でオッケーとも思う。
そのことを自覚さえしていれば。事実誤認がなければ)

チャーリーという愛称の
若き社会学者がラジオで小沢健二特集をしたとき、
私が昔「宝島30」で書いた小沢健二評を覚えていて、
歌人の枡野浩一は当時こう言っていた、
と紹介してくれました。

世に出した文章は、
そういうふうに勝手に記憶され、
勝手に語られていきます。

(もちろんその「宝島30」の記事を、
くだんのブロガーは読んでいないでしょう)

あの文の真意はこうこうこうなんですよ、
本当はもっとこういうことも言いたくて……なんて
弁明が追いつかないような形で、
言葉は人々に伝わっていってしまいます。

小沢健二自身も、
そういった「土俵」に立って、
言葉を歌ってきた人です。

そんな表現者に対しての敬意を、
忘れたくないと思う。

「こんなことを上から目線で書いてる
枡野浩一とかいう歌人は、
いったいどんな短歌を詠んでるんだ?」
という目で見られても、
小さな胸をはっていられるような言葉だけを
自分の名前を出して書いてきましたし、
これからも書いていくつもりです。

私よりはだいぶ若いらしい、
まだ原稿料を貰い慣れていないのかもしれない
彼方の人に、
老婆心ながらお伝えしたくなり、
この記事を書きました。
老婆なのでご容赦ください。
ブログはこれからも愛読させていただきます。




【追記】
kenzee a.k.a.中尾賢司さんから、
お返事をいただきました。
http://bungeishi.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/2010-72eb.html

うーん。
胸を張らないと言いつつ自信満々なんですね……。
私のほうから、
とくに新たに付け加えたいことはありませんが、
ふたつだけ。

ひとつめ。
ブログは全体的に愛読してます。
その上での感想です。

ふたつめ。
「イマイチ」という感想に関しては、
もとよりあなたの感想ですから、
覆していただきたいと思ったことはありません。
(私は最初からそのように書いております)
ただ、
私の原稿があなたにとって「イマイチ」だとしても、
それは「考え方」「姿勢」「趣味」の次元の問題。
対して私は、
あなたのブログ記事(とくにコメント欄)に
事実誤認がいくつかある、と指摘しました。
半分は、
そのことをお伝えしたくて書いた記事でした。
無事、訂正記事が出たようなので、
私の記事の役割も半ば終わったと思います。

(本文にも明らかな「事実誤認」があると私は思いますが……。
《フリッパーズ・ギターすら彼の「企画」だった。》って、
フリッパーズ・ギター時代から知っている人なら思いつかない
「独自すぎるSFのような解釈」だと思います。
まあ、「事実」よりも「面白さ」重視なのでしょうね)

以上です。

私の記事が、
あなたのブログの宣伝に少しでも貢献できたのだとしたら、
それは願ってもないことです。
次に紙媒体で書く機会があったら、
ブログ記事のいつもの調子で書かれると良いのでは?
ますますのご健筆をお祈りしています。



【追記の追記】
上の追記、
「ふたつだけ」と言いつつ
五つくらいのことを書いてる気がしますが、
刑事コロンボ的に、あとひとつだけ。

私はそもそも、
「小沢健二は電通的」という
聞き飽きた言説(それは中尾賢司さんの
ブログを読む前から聞き飽きてました)に
反発する気持ちで自分の原稿を書きました。
ですから、
《ひとり電通な小沢氏》との
認識を持つ中尾賢司氏が、
かのアルバムをあえて《私小説的》と評した
私の原稿に不満を持つのは当然だと思います。
どちらかというと、
中尾賢司氏の認識のほうが私の中では「古い」です。
古いから悪い、新しいから良いなんて思いませんけれど、
旧来の言説を踏まえて書いた原稿であることは
お伝えしておこうと思いました。

なお、
《私は、仮に小沢健二が架空の存在であったとしても
ビクともしないのが本当の批評ではないかと思うのだ。》
とのご意見には、まったく同意いたしかねます。
あまりにも頭でっかち! 
批評のための批評が好きな、批評家のご意見ですね……。
小沢健二に限らず、どんな作り手でも、
それが架空の存在であったとしたら皆ビクっとします。
http://masuno-tanka.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-43e8.html

ちなみに、
「舞城王太郎の正体は小沢健二」
という一部で流行した都市伝説は、
数年前の四月馬鹿に私が創作して流布させました(本当)。
http://taikutujin.exblog.jp/4696960



【最後の追記】
中尾賢司さんから、
新たなお返事をいただきました。
http://bungeishi.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/90-5f4b.html

一読して驚いたのは、
2010年に音楽について書くということ(枡野浩一さんへの手紙)
http://bungeishi.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/2010-72eb.html
で宣言されていた、
「人ではなく、ストーリーでもなく、作品を批評したい」(大意)
という姿勢から、
自ら、どんどん遠ざかっていらっしゃるように見える点です。

私自身は、
自分が短歌という表現を選んでいることもあって、
「人は、作品のみを純粋に観賞したりはしない」
という考えの持ち主です。
http://masuno-tanka.cocolog-nifty.com/blog/2005/08/post_04c9.html
しかし、あなたは、私とはちがう考えだったのでは?

矛盾というか、乖離というか……。
とにかく残念です。

そもそも、
あるユニットの複数いるメンバーの、
一人の発言(しかも解散後の)を
そのまま鵜呑みにしてみたり、
そうかと思えば、
同じ人物の語るセルフイメージを全否定したり、
恣意的すぎる印象を受けました。
「結論ありき」で、
それに合う資料を後出しで用意しているから、
なのでしょうか……。

私は音楽誌への投稿がきっかけで、
二十代前半で文筆の仕事を始めました。
「音楽」に興味がなく、
「歌」ばかり聴いている音楽ライターでしたし、
興味の持てるミュージシャンが偏っていました。
http://masuno.de/blog/2009/05/03/post-51.php

それゆえ、
興味の持てる数少ないミュージシャンに関する記事は、
網羅的に目を通すようにしていました。
リアルタイムで毎月それらに触れていた、
ということが、
私の小沢健二観のもとになっていると思います。


クイック・ジャパン (Vol.7)

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それでも私は、
小沢健二さん本人に取材したことがありません。
それゆえ、
あなたの「SF的解釈」も(保留つきで)
なんとなく面白がってしまったりするのですが、
小沢健二さんに直に取材していた方、
小沢健二さん以外のフリッパーズ・ギター関係者と
交流のあった方など、
「フリッパーズ・ギター研究家」が知人に複数います。
http://masuno-tanka.cocolog-nifty.com/blog/2007/11/post_a5d6.html

彼らが、
あなたの記事をどんな気持ちで読むのか……、
想像するだけで胃が痛くなってきました。

中尾賢司さんに代わって、
私のほうから、
おわび申し上げます。
中尾賢司さんを応援する気持ちもあって
書いた記事だったのですが、
逆効果だったかもしれないと反省しております。
すみませんでした。

中尾賢司さん、
おつきあいくださった読者の皆さんはもちろん、
小沢健二さん、
小沢健二さん以外の関係者の皆さんにも、
改めて陳謝し感謝します。

以下は、
1997年刊行の私のデビュー短歌集に収録した一首。
「フリッパーズ・ギター」という固有名詞の
ナカグロ(・)がないのは、わざとです。
(「おぼろげな記憶」だから……)
この件に関する私のほうからの発言は、これで、
ひとくぎりとさせてください。

 おぼろげな記憶によれば「フリッパーズギター」はたしか別れの言葉 (枡野浩一)

ドレミふぁんくしょんドロップ―枡野浩一短歌集〈2〉 (枡野浩一短歌集 2)