2010年8月13日

【追記あり】廃墟写真パクり裁判の争点

棄景/origin
棄景〈5〉

丸田祥三さんのイベント
http://masuno.de/blog/2010/08/10/post-204.php
の反響が物凄くて、
追いきれないくらいなのですが、
目についたものは有り難く拝読しています。

その中で、興味深い記事を読みました。

nobioさんの観測所雑記帳
http://dragox.exblog.jp/14941548/

丸田さんご本人は頷けない記述も多いかもしれませんが、
私はこのかたのご意見にかなりの部分で賛成です。
(でもまあ、
裁判とは直接関係ないことが色々ありすぎるから、
わざわざトークイベントで話したんですよ、もちろん)

とりいそぎ、
駆け足で申しわけないのですが、
賛成でない部分にだけ反論しておきますね。

・ガウディ建築の写真は、建築自体がガウディの創作物であるから、
 今回の裁判で問題とされている写真と比較するのは無理がある。
 (丸田祥三がそれまでの廃墟写真家とちがっていたのは、
 廃墟を記録として撮ったり、裏モノ的に撮ったりしたのではない点。
 批判の対象となるくらい作品性を意識した廃墟写真家だったところ。
 だと私は考えます)

・NHKのあの失礼な手紙(「つくる」ではなく「創る」)へ、
 そのような切り返しができるような人だったら、
 そもそも自著の映画化も断わらないだろうし、
 盗作問題も別の形で決着がついていた可能性がある。
 丸田さんは他人に自分と同じ純粋さを期待してしまう人なのだ。
 (と、司会者枡野は、一貫して皆様にお伝えしていたつもり。
 ちなみに枡野なら「ばーか、ばーか!」と書いた返事を出すかも)

・丸田さんはかつて、自分の撮った廃墟の場所を人に教えていた。
 その結果、このような酷い目にあってしまったのだから、
 現在の丸田さんがNHKからの失礼な手紙に過敏になるのは当然。
 丸田さんが最初から「自分の撮った廃墟は人に教えない」という
 ケチな態度でいたならば、現在このような状態にはなっていない。
 nobioさんはそこ(時間の経過)を見逃しているのではと思った。
 (その手の失礼な手紙に馬鹿丁寧に返事を書き続けてきた枡野は、
 現在はもう返事しないようにしている。百害あって一利なしでした。
 十年くらい実際にやってみるとわかりますよ、nobioさん!)

……といった感じです。
でも、いちばん気になったのは、以下のくだり。

http://twitter.com/toiimasunomo/status/20908127095
【だれでも同じ場所を撮れば似た写真になるとか言ってる人がいる。私は自作が先行作に偶然似ていたら恥ずかしい。先行作を知ることもプロの大切な仕事だと思う】盗作について云々する前に必ずこれを見ないと恥だ! http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20100810

この私のツイート、まちがっていました!

 私は自作が先行作に偶然似ていたら恥ずかしい
 先行作を知ることもプロの大切な仕事だと思う

このように
「恥ずかしい」「思う」みたいな言い方をしたのは
不正確でした。

たとえば私の本業である短歌の世界では、
コンテスト入選作に
既存の有名作とそっくりな作品が発見され、
入選が取り消しになる……みたいなことは、
たいへんよくあります。
http://masuno-tanka.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_c21a.html

まあ、
この手の問題も一概には言えないというか……。

こういうケースもありました。
http://masuno-tanka.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/index.html

最近も、こういうケースが。
http://metos.co.jp/products/kamin/post-10.html

で、
丸田さんのケースは、
丸田さん本人がイベント中にも説明していたのですが、
その説明が専門的でわかりにくかったかもしれないので、
私の言葉で説明し直してみます。

廃墟写真家というのは複数います。
複数の廃墟写真家がグループ展をやったと考えましょう。
その場合、
同じ廃墟を同じアングルで撮った写真が二枚あったら、
どちらかが残され、どちらかが捨てられるのは確実。
今回の小林被告と丸田原告の写真は、
そんな時、どちらかが捨てられるほど酷似している!
(トリミングがちがうと被告側は言うが、トリミングというものは
本の装幀に使用される時などに大きく変わってしまうこともある!)
(ついでに言うと、後出しの小林被告作品のほうが下手!)
と丸田さんは主張しているのです。
そして本来なら、捨てられるのは後から撮影された
小林被告の作品であるはずなのに、
実際には逆になってしまっている、
というのが困っている点なのです。

ですから、
私のツイートは不正確でした。
《芸術家はかくあるべし、とか、プロを名乗るならかくあるべし、とかいう価値観》
の話に見えてしまったのは、
私がそのように書いてしまったからでした。
おわびし、訂正します。

だけど丸田さん、じつは私、
小林作品が「劣化コピー」(枡野談)でよかったと思っています。
先行する丸田作品のほうが明らかに魅力があるのだから、
写真家丸田祥三はそのへん、まったく心配しなくてもいいのです。




【追記】
nobioさんより感想をいただきました。
http://dragox.exblog.jp/14945273/
以下はnobioさん以外は読まなくていいと思う。

あなたがより納得するように、
私の記事の言葉を
「反論」→「反応」
「純粋」→「謙虚」
みたいに推敲するのは容易いんだけど、
私は自分のもとの書き方が
とりたてて不正確だとは思わないです。

言葉の定義が人によって微妙にちがう以上、
定義を歩み寄って揃えようとする意志が互いにないと
「論」は必ず空回りします。
あなたと私が話題の当事者同士だったら、
そういった意志をもちろん持つでしょうが、
今回はあなたに向かって言葉をつむぎながら、
もっと大勢の人に伝えたいことを書きました。

「比喩としてなら、その言葉は正確だ」
という場合だってあるんですよ。
「論理でない部分で結果的に反論している」
というような言い方だって日本語です。
というか、
世にある論理的とされている文章も皆、
そういう曖昧な部分をたくさん含んでいます。

論理の構築だけを信じる姿勢のあやうさを
nobioさん自身がすでに指摘している以上、
私から特に付け加える必要もないかと思いましたが、
念のため書きました。

私はあなたのご指摘の真意を受けとめたつもりですが、
ここを読んでいる人の多くはそもそも、
あなたの最初の記事にも「共感」はしないと思います。
そのような世の中だからこそ丸田さんや、
丸田さんを応援する私たちは、
裁判所ではない場所でトークする、
という闘い方を選んだんです。

裁判所は本来、
論理的な言葉が交わされる場所であって欲しいが、
実際は全然そうでないということは、
実際に裁判所に行くとわかります。
いしかわじゅんさんの
『鉄槌!』(角川文庫)を読んでもわかりますが。
鉄槌! (角川文庫)

ちなみに私は自分の記事で、
《その手の失礼な手紙に馬鹿丁寧に返事を書き続けてきた枡野は、
 現在はもう返事しないようにしている。百害あって一利なしでした。
 十年くらい実際にやってみるとわかりますよ、nobioさん!》
と書きました。
「失礼」なんていう人間の生々しい感情を、
理屈で語ろうとするのは言葉に対して失礼である気がしたからです。
私は(たぶん)あなたの望むような手紙なら、
十年くらい書き続けました。
その結果、
そういう「失礼な手紙」を寄越す人には何を言っても無駄なんだと、
最近になってやっと納得しました。
納得というか、あきらめた、という言葉がぴったりくる。
丸田さんもNHKからの手紙の「創る」という字を問題にしていたが、
それは経験をもとにした意見です。
「つくる」を「創る」と書くタイプの人、
と乱暴にカテゴライズすることで、見えてくるものがある。
親切な返信を書いても書いてもキリがなく無礼な返信が続くか、
もしくは唐突に返信が途切れてしまう!
というようなことを、私は何度も体験しました。
十年かけて馬鹿な私がようやっと学んだ感覚では、
誕生日に歌を歌いに来てくださいという手紙に、
わざわざ断わりの手紙を書くことは相手に「失礼」です。
一切返信せず、その手紙を書いた人が十年後に、
自分の行動をふと思いだして、
そっと赤面するような社会性を身につけることがあるよう、
遠くから祈る……というのが大人の対処法みたいです。

あと単純な話、
今あなたと私は共に、
ひらがなばかりで手紙を書く年齢の子と、
NHKで映像を「創る」仕事をしてきた大人とを、
同列に語っていますよね?
それはある意味NHKの人に「失礼」な態度かも。

以上、
体験よりも頭で考えたことを信用しそうな
あなたにきちんと届く言葉だったでしょうか?

以上の意見と響き合うことを、
最新刊『結婚失格』(講談社文庫)にも書いています。
ぜひご一読ください。
結婚失格 (講談社文庫)

余談ですが。

盗作というのは盗まれたと感じた側が
訴えないと問題にされない「親告罪」です。
そして、
盗作裁判は民事裁判です。

民事裁判では、
負けた側が金を払わずに逃げてしまった場合、
負けた側には何の罰則もありません。
そして裁判は勝っても負けても、
弁護士謝礼は払わないとならないのです。
勝っても大幅な赤字、なんてことは普通です。
その意味で、
裁判を起こすのは金が欲しいからだろ?
という意見は、
まったく現実を見ていない
子供じみた意見だと断定できます。
そして、
そんな子供じみた意見が
世間には蔓延しているから、
日本では裁判を起こした側が
(被害者なのに)悪く言われるのです。
裁判を起こした側も敬遠されます。
そのような無理解とも
同時に闘わなくてはなりません。

「論理」だけで問題が解決したら
楽ですけどね……。