ひとつ前の記事にも書きましたが、
「かんたん短歌blog」を休止中です。
金曜日は枡野浩一短歌塾に集中する日と決めていて、
しかし昨夜はなにも手につかずに眠ってしまいました。
塾生のみなさん、ごめんなさい。
これから朝まで、続きをやるつもりです。
気持ちを整理するために、
枡野浩一短歌塾の皆さんにも、
「かんたん短歌blog」投稿者の皆さんにも、
そうでない皆さんにも、
お伝えしたいことをひとつ書きます。
ちょっとだけおつきあいください。
*
昔、
あるウェブサイトがありました。
そのサイトの作り手は、
表現者になりたいらしく、
自分は表現者になります、
みたいな宣言が堂々と書いてありました。
才能のない人だとは思いませんでした。
でも、
私はそこに溢れ過ぎている
「表現者になりたい気持ち」に、
危険なものを感じていました。
短歌を詠みたい、
小説を書きたい、
といった気持ちはわかるんです。
でも、
歌人になりたい、
小説家になりたい、
という気持ちがあまりに先立つと、
その人は結局、
何者にもなれないと思う。
もしかしたら天才で、
そんな心持ちで何者かになれてしまう人も、
たまにはいるかもしれません。
でも私自身は全然そういう天才ではなく、
単に短歌を詠みたくて詠み、
作品が大量にうまれてしまってから、
「これを世の人々に届けたい!
届けないと次に進めない!」
と考えて色々と行動していったのです。
だから、
「何者かになりたい気持ち」が、
そこまで前面に出てしまう人のことが、
私にはわかりませんでした。
*
ひとつ前の記事にも書いたように、
枡野浩一短歌塾は基本、
申し込んでお金を払えばだれでも入塾できます。
でも、
ごくまれに、
入塾をおすすめしないこともあります。
たとえば、
その歌人がある程度もう完成していて、
枡野浩一に指導されてもしかたない、
みたいな感じになってる場合とか……。
第二期に関しては、
ひとりだけ、
入塾をおすすめしない旨のメールを
出した人がいました。
ご本人が、
短歌をあきらめたがっているようだったので、
「思いきり頑張ってみて、あきらめること」
をお手伝いするくらいなら、
できるかもしれないと思っていたけれど。
以下が、その全文です。
*
あなたのお名前はよく覚えてますよ。
あなたはあの頃、
短歌をつくりたいというより、
何者かになりたい、
という気持ちのほうが先にあった感じでした。
表現は、
そういうふうにして始めたら、
必ず行き詰まるのです。
短歌、
きっと投稿してくれたら、
私はそこそこ選ぶと思うけど、
あなたが歌人として凄いかどうかは微妙。
むろん、ほかの塾生だって、みんな未知数です。
短歌塾に何を期待しているかによりますが、
たしかに、
「短歌をあきらめよう」
と思うきっかけにはなるかもしれません。
枡野浩一
*
私のそのメッセージの真意は、
ご本人には届かなかったのかもしれません。
私は、
自らの気持ちを偽りたい人にはいつも、
何も言えなくなってしまいます。
そんな私と接することで、
傷ついてしまった人がいたら、
ごめんなさい。
ただ、
表現するということは、
わざわざ傷つきに行く、
というようなことだと思っています。
*
枡野浩一短歌塾の講義で以前書いた一文を、
以下に転載して、
この記事を終わりたいと思います。
*
短歌なんかに見向きもしない人が、
それが短歌だと気づきもしないで、
☆マークをつけたくなるような一首。
それだけを私はめざしている。
それは「面白い」ということだ。
それは「必要だ」ということだ。
実用性のない詩歌だってある。
むしろ詩歌に実用性は期待されていない。
でも書くことで癒される程度のかなしみなら、
私に見せないで欲しいと思う。
書いて、届いて、波紋を呼んで、
読み手の歩みに影響を与えるような、
そんな一首が書けないと私は満足できない。
とても傲慢な望みだ。
傲慢であることを自覚していなければ詠めない。
でもその傲慢さは、
人はみな私のことが大好きで私の歌を聴きたいはずだ
みたいな地点にいることの傲慢さとは、
まったくちがうものだと思っている。