2010年4月24日

何者かになりたい気持ち/遠くへ届かせたい言葉

ひとつ前の記事にも書きましたが、
「かんたん短歌blog」を休止中です。

金曜日は枡野浩一短歌塾に集中する日と決めていて、
しかし昨夜はなにも手につかずに眠ってしまいました。
塾生のみなさん、ごめんなさい。
これから朝まで、続きをやるつもりです。

気持ちを整理するために、
枡野浩一短歌塾の皆さんにも、
「かんたん短歌blog」投稿者の皆さんにも、
そうでない皆さんにも、
お伝えしたいことをひとつ書きます。
ちょっとだけおつきあいください。

*

昔、
あるウェブサイトがありました。
そのサイトの作り手は、
表現者になりたいらしく、
自分は表現者になります、
みたいな宣言が堂々と書いてありました。

才能のない人だとは思いませんでした。

でも、
私はそこに溢れ過ぎている
「表現者になりたい気持ち」に、
危険なものを感じていました。

短歌を詠みたい、
小説を書きたい、
といった気持ちはわかるんです。

でも、
歌人になりたい、
小説家になりたい、
という気持ちがあまりに先立つと、
その人は結局、
何者にもなれないと思う。

もしかしたら天才で、
そんな心持ちで何者かになれてしまう人も、
たまにはいるかもしれません。

でも私自身は全然そういう天才ではなく、
単に短歌を詠みたくて詠み、
作品が大量にうまれてしまってから、
「これを世の人々に届けたい!
届けないと次に進めない!」
と考えて色々と行動していったのです。

だから、
「何者かになりたい気持ち」が、
そこまで前面に出てしまう人のことが、
私にはわかりませんでした。

*

ひとつ前の記事にも書いたように、
枡野浩一短歌塾は基本、
申し込んでお金を払えばだれでも入塾できます。

でも、
ごくまれに、
入塾をおすすめしないこともあります。

たとえば、
その歌人がある程度もう完成していて、
枡野浩一に指導されてもしかたない、
みたいな感じになってる場合とか……。

第二期に関しては、
ひとりだけ、
入塾をおすすめしない旨のメールを
出した人がいました。

ご本人が、
短歌をあきらめたがっているようだったので、
「思いきり頑張ってみて、あきらめること」
をお手伝いするくらいなら、
できるかもしれないと思っていたけれど。

以下が、その全文です。

*

 あなたのお名前はよく覚えてますよ。

 あなたはあの頃、
 短歌をつくりたいというより、
 何者かになりたい、
 という気持ちのほうが先にあった感じでした。

 表現は、
 そういうふうにして始めたら、
 必ず行き詰まるのです。

 短歌、
 きっと投稿してくれたら、
 私はそこそこ選ぶと思うけど、
 あなたが歌人として凄いかどうかは微妙。

 むろん、ほかの塾生だって、みんな未知数です。

 短歌塾に何を期待しているかによりますが、
 たしかに、
 「短歌をあきらめよう」
 と思うきっかけにはなるかもしれません。

 枡野浩一

*

私のそのメッセージの真意は、
ご本人には届かなかったのかもしれません。

私は、
自らの気持ちを偽りたい人にはいつも、
何も言えなくなってしまいます。

そんな私と接することで、
傷ついてしまった人がいたら、
ごめんなさい。

ただ、
表現するということは、
わざわざ傷つきに行く、
というようなことだと思っています。

*

枡野浩一短歌塾の講義で以前書いた一文を、
以下に転載して、
この記事を終わりたいと思います。

*

 短歌なんかに見向きもしない人が、
 それが短歌だと気づきもしないで、
 ☆マークをつけたくなるような一首。

 それだけを私はめざしている。

 それは「面白い」ということだ。
 それは「必要だ」ということだ。

 実用性のない詩歌だってある。
 むしろ詩歌に実用性は期待されていない。

 でも書くことで癒される程度のかなしみなら、
 私に見せないで欲しいと思う。

 書いて、届いて、波紋を呼んで、
 読み手の歩みに影響を与えるような、
 そんな一首が書けないと私は満足できない。

 とても傲慢な望みだ。
 傲慢であることを自覚していなければ詠めない。

 でもその傲慢さは、
  人はみな私のことが大好きで私の歌を聴きたいはずだ
 みたいな地点にいることの傲慢さとは、
 まったくちがうものだと思っている。