3001年9月23日

黒板に書く字は白い そのようにわたしの色を決めてきたんだ (枡野浩一)

枡野浩一ほぼ日刊メルマガ『毎日のように手紙は来るけれど』
http://p.tl/BXRo

枡野浩一ツイッター
http://twitter.com/#!/toiimasunomo

ネットの言葉は「文章」と「おしゃべり」の間くらいに位置するものだと思う。
そう考えなければゆるせないくらいミスが多い。匿名の無責任な発言も目立つ。
(私の短歌は無数に転載・引用されているが、そのほとんどに表記ミスがある。
枡野浩一という名前も「桝野」「幸一」とか、かなりの確率で誤記されている。
枡野浩一ではない歌人の短歌が枡野浩一の短歌として語られていることも多い。
そんなミスは黙殺するのが「普通の態度」であるという空気がネットにはある。
プロの書き手がそんなミスをしたら黙殺されないであろう、その非対称性……)
ネットの言葉を、活字の言葉と同等に扱うと、その長所も短所も見逃すと思う。
出版社のフィルターを通ってない。修正も消去もたやすい。十年たっても残る。
時と共に紙が黄ばんだり印刷が薄れたりしないから、時の流れが体感しにくい。
いつでも聴けるポッドキャスト番組が苦手なのは聴き逃すことができないから。
ネットの文章が退屈なのは「つっこまれないこと」を目標にして書かれるから。
私のブログは時々予告なく古い記事を消します。随時、加筆修正していきます。
(原稿料や印税など対価をもらって書くという自分の本業を優先させています。
アフィリエイトも試みていますが成果が出なければいつでもやめるつもりです)
残らないおしゃべりに責任を負うのと同様、消えた文にも責任を負うでしょう。
書いたものを消すという行為も表現であり、それをなかったことにはしません。
名を出して書くということは、言動の積み重ねを背負っていくということです。
その場その場でちがうことを言えてリセットが簡単な「匿名」を支持しません。